次男のアパートへの往復の車中、子ども達の父親の話しになりました。
次男が小学2年生の時に私たちは離婚し、今から数年前に、渓流釣りに行ったままふるさとの山で亡くなった私の元夫です。

お父さんは結婚前何故あそこに住んでいたの?という質問から話しが始まりました。
お父さんは東北出身で、私たちは東京で出会ったのでした。
当時、彼は建築の職人でした。彼の職歴や、私たちの仲人さんの事から話が広がっての想い出話し。

まだ結婚する前にね、お父さんは仙台に2か月位出張していたの。 
そこにお母さんは一度だけ会いに行ったのよ。
立派な名前のホテルだったけど、蚕だなのようなベットの宿泊所だった。
お金がなくてね、パチンコ屋さんへ行って、私に落ちてる玉を拾って来いって言うのよ。で、20歳のお母さんはパチンコ打ってる人の足元に潜って、玉を拾い集めて、それでお父さんがパチンコ打って、やっと宿代とごはん代を作れたの。その日は、蚕だなのホテルに一部屋だけある和室に泊まれたのよ。

昼間は仙台から松島の方へ行く単線の電車に乗ったの。
あの鉄道、今はもう単線じゃないだろうけど、震災の時は津波でやられちゃったんだろうなぁ。
一番安い切符を買って、無人駅で降りたら、麦畑に風が渡ってとても綺麗だったんだよ。他人の畑の大根抜いて齧ったり、松ぼっくりを拾ったり、収穫終えたあずき畑で、小豆ってこんなふうに生るんだって教えてもらったり・・・お母さんは何にも知らない人だったから、お父さんの事を「すご~い!」って思ったの。
(悪い事してごめんなさい、でも40年以上前の事、許してください)

その時の切符と・・昔の切符ね、固くてバチンって鋏を入れてある・・・小豆と松ぼっくりをグラスに入れて、ずっと本棚の所に置いてあったんだけど、再婚するとき捨てちゃった~

次男:えっ?!覚えてるよ。まつぼっくりあったね。

私 : お父さんが生きていて、こんな話ができたら面白かっただろうね。

駅前の小さな店で菓子パンを買ったような気がします。そこにぶら下がっていたハエ取り紙を鮮明に覚えています。今の人はハエ取り紙なんて知らないのでしょうね。
忘れていても不思議じゃないような小さな記憶が、相手の中にも、何十年経ってもちゃんと残っていただろうと思うと、ちょっと嬉しいような、もう話せないけど話してみたかった不思議な気持ちです。

たまにはいつもと違う日記を書いてみたくなって、息子に語った思い出話しを書いてみました(*^^*)

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