実家で先日の続きの母の衣類の片づけ作業をしました。
亡くなってまだ半年だから、片づけるには早過ぎるかとも思うのですが、いっぺんにエイッ!ヤー!と処分するのは忍びなく、一つ一つ試着してはゴミ袋へ入れてゆきました。
父の覚書が出てきました。新婚時代のものです。晩年お酒に溺れた父ですが、若い頃は夢に萌えていたのですね。事業への野心とプランが綴ってありました。アメリカへ行くことも計画の中にありました。「妻に話すと『死ぬほど行きたい』と言った」と書いてありました。生まれ故郷アメリカへ帰ることが、母の大きな夢だったのです。
でも父と母の夢は、舅姑の反対に会い実現しませんでした。

古い手紙も20~30通ありました。母の姉弟からのものが多かったです。英文なので、私には掻い摘んでしか内容がわかりません。日付を見ると1956年が多く、アメリカ育ちの母が九州で、舅姑と同居し、父が始めた事業を懸命に手伝っていた頃、母の辛かった時代です。

私が5歳の時、2歳年下の弟が亡くなりました。母は姑に『あんたが信心しないから子どもが死ぬなんてことになる』と言われたと言っていました。

その後、小田原に住む母の父(私の祖父)が亡くなりました。祖父はとても優しい人で、母はお父さんっ子だったようです。そんな祖父は妻を亡くしたあと、子ども達に猛反対されながらも再婚していました。その再婚相手の女性からの手紙も数通ありました。祖父は再婚してまだ日が浅いうちに肝臓を患い他界したのですが、手紙はどれも拙い文字と文章の鉛筆書きで、祖父の病状や日常の報告、見舞いのお礼などがしたためてありました。祖父亡きあとの手紙は、それは肩身の狭そうな文章があわれで、その方の心に想いを馳せました。
その女性は祖父の後を追うように一年後に病死されています。

母は九州・福岡が大嫌いでしたが、辛くて辛くて、けれども一生懸命だったその頃の記録を捨てられなかったのですね。

人の一生を見る思いの片づけです。
父の、母の、祖父母の人生。

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左端は私の子ども時代に家族でやっていた家業の旅館のマッチのラベルです。
手紙類の箱に写真も入っていました。
湖畔の母。父とよく軽井沢でデートしたと話していましたが、この写真はどこでしょう。

私の夫が亡くなったあと、母と軽井沢へ行ったことがあります。
雲場池で「あのベンチにaちゃん(夫)と座ったのよ」というと、「一人で座っておいで。私、ここにいるから」と言った母にも、雲場池に思い出があったのかもしれませんね。

身近な人の一生を俯瞰するように振り返ると、日々の小さな不満がどうでもいい事に思えます。
誰に対しても、自分のこだわりは横に置いて、受け止めてゆこうと、こういう作業をしていると思ってしまいますね。

あぁ、でもね、恋人の裏切りだけは許せない。何故なんだろうと考えました。きっと真心の問題だからでしょうね。
まだまだ人間小さいですね。こんなですもの、人を受け止めるなんて上っ面の言葉だけかもしれません。

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