絵のための写真を探して古いデータを見ていたら、没だと思っていた写真の中にも結構いいのがあって、ヘェーと思います。
いい写真というより、撮った当時の気持ちが写っている写真と言った方が近いかもしれません。
横浜時代は鬱々とした気持ちを何とかしなくてはと思い、自分を無理やり奮い立たせて、自宅のごく近くを撮っていました。
昔、谷戸だった地形を利用した久良岐公園にはよく行きました。
その頃の面影を求めて、この前の日曜日に実家の片づけ方々行ってみました。
けれど。。。なんだかね~池の周りは工事中だし、ちっともピンと来ないのです。
あの息もつまりそうな気分の時だからこそ目に止まった、心に響いたってこともあるのですね。
物事も気持ちも ひと所にとどまってはいない。
その時その時の「今」を大切にしなきゃいけないんだなと思いました。
いい写真というより、撮った当時の気持ちが写っている写真と言った方が近いかもしれません。
横浜時代は鬱々とした気持ちを何とかしなくてはと思い、自分を無理やり奮い立たせて、自宅のごく近くを撮っていました。
昔、谷戸だった地形を利用した久良岐公園にはよく行きました。
その頃の面影を求めて、この前の日曜日に実家の片づけ方々行ってみました。
けれど。。。なんだかね~池の周りは工事中だし、ちっともピンと来ないのです。
あの息もつまりそうな気分の時だからこそ目に止まった、心に響いたってこともあるのですね。
物事も気持ちも ひと所にとどまってはいない。
その時その時の「今」を大切にしなきゃいけないんだなと思いました。
なんとなくわかります。
戻りたくても戻れない、あの時だからこそだったんだって。
そう思うと生きている瞬間瞬間は大事なんですね。
特に苦しい時や悲しい時、そして寂しい時、本当はそんな時には二度と戻りたくはないんだけど、その時に味わった思いはすごく貴重なものとして残るんですね。
ずっと後になってわかるというか・・・
還暦を過ぎて人生、アッという間だなって感じています。
sakeさんの若さがうらやましいな。
でも、歳を重ねた今だからこそ見えるものやわかってあげられることが少しあるような気もします。
別れて、ちょっと親しいただの友達になった元彼のことも。
責めることで忘れようともがいた時間がようやく責めない、ありのまま受け入れる時間に変わっていこうとしてるのも、歳をとり心身ともに少し弱くなったせいかもしれません。
望まなければ、がっかりもしないし、存在を感じるだけでも心のよりどころになっているような気がします。
子供ではない、親兄弟でもない、我が心のままに吐き出せる人は意外にも自分を苦しめた人なのかな?
みよさんも、きなこさんも、sakeさんも一途に思い過ごした時間は無駄ではないと思います。どこかにつながっていくんですよ、きっと。
いつか出会って良かったと思いたいですね。私もまだまだ途中ですが。
自分の思いで書いてしまいました。皆さんごめんなさい。