クリスマスの日 横浜にて

横浜に実家のお墓があります。クリスマスの日に、母を偲びながらお掃除して、新年を迎える支度をしてきました。
墓地の片隅に水仙が群れ咲いていました。さすがに横浜は暖かいのですね。

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折角来たのだからどこかへ寄ろうと思ったけれど、町の喧噪という気分ではなかったので、横浜ベイサイドアウトレットへ行ってみました。ちょうど日が沈む頃でした。

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この時刻の色は優しくて、いつまでも包まれていたくなります。

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サンタクロースが登場!
子ども達はお菓子のプレゼントに大盛り上がり。

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私の静かなクリスマスでした。


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母の三回忌法要

今日は母の3回忌法要でした。
墓参りの時にいつも母と寄った店で昼食をと思っていたけれど、行ってみたら混んでいたので、またまたコンビニ弁当を買い、㹨(いたち)川という小さな川を見降ろす東屋で桜吹雪を浴びながら食べました。

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鶯が啼いていました。
横浜とは思えない静けさです。

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今日も良い時間が持てました。

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「ばあちゃん、僕たちも会いに来たよ」

弟夫婦との会話はなんだかホッとしました。

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母が亡くなってもうすぐ2年

珍しく弟から電話。
「ママの3回忌どうする?」
私たち姉弟は母をママと呼びます。
高校生くらいの頃、「おかあさんって呼んでいい?」って聞いたら
「ママじゃないみたいだからダメ!」と断られました。
「3回忌?どうって?」
「やる?」
「やらないの?
あなたの好きなように決めていいけど、一応人並みにやったら?変かなぁ」

(神仏を信じていない私がこんな事を言うのは変かな?という意味です。
私は自然の中に神を感じたりはしますが、宗教という意味での神仏は気持ちにしっくりきませんし、魂や死後の世界はないと思っています。故人は残った人の心の中に生き続けるだけだと思っているのです。)

「いやぁ、変じゃないけど・・・やんなかったらママ怒るかなぁ?」
「アハハ、怒るかもね。還暦の時、何もしてくれないって文句言ってたから。」
「え~そうなのぉ?」

こんな姉弟の会話は世間的に見たら妙なのでしょうね。
法要は多分やることになるでしょう。
母の命日より大分遅れて。

つい2・3日前に夢に母が出て来ました。
50才位。まだまだ若くて、コロコロと笑っている母でした。

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名残りを惜しむ

母が作った人形たちを持ち帰りました。私の趣味じゃないんだけど、ちょっと考えがあって。

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ついでにまたまた母のアルバムより

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ひ孫のあ~君と撮った一番最後の写真も載せようかな~と思ったけれど、若くて可愛らしい母の姿だけにしておきます(^_-)-☆

実家の近所の公園へ行ってみました。
夫を亡くして横浜に引っ越し一人暮らしをした頃、重く沈んだ心を抱いて、自分を励ますように、カメラを持って歩いた公園です。ここには随分慰められました。

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もうすぐ実家が人手に渡ってしまうので、
いろんな事が思い出されて名残りを惜しんでいます。

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父と母のウェディングフォト

孫のインフルエンザが長引いて、子守りの約束のキャンセルが続いたので、この時ぞとばかり横浜の実家に泊まって来ました。

駐車場を1月いっぱいで解約するので、駐車場があるうちにもう一度行きたかったから。

母のベットはまだ母が寝たまま、枕元には読みかけの本と老眼鏡、枕の上には畳んだパジャマ。

古いアルバムの中の父、母、私、亡くなった2歳違いの弟、6歳年下の弟。

こんな写真をみつけました。いつまでも覚えていたいからここに載せちゃいます。

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リビングのテレビの前のテーブルをどかして布団を敷いて寝ていると、なんとなく父と母の空気に包まれているような気分。

こんな風にゆっくり浸れる時間と場所があるのは幸せなことです。

今夜はG子と長電話しました。
母亡きあと、弟とどんな風にして繋がって行けばいいか、なんて。
弟の住まいは長野、お寺もお墓も横浜。
もう弟の家に行くこともなくなってしまうのかな。

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横浜の実家

弟夫婦が横浜に来ると言うので、日にちを合わせて行ってきました。
私の両親が元気な頃、弟夫婦は横浜で親と同居していました。だからきっと品物の一つ一つに想い出が沢山あるだろうなと思うと片づけようにも片づけられなくて、母の衣類とキッチンの鍋類以外は手を付けられずにいました。とっておいても仕方ないと解っているものでも、もう一度一緒に見て、それから処分したいと思っていました。
でもね、義妹のYuちゃんは、家が売れて明け渡さなくてはいけなくなる時までそのままにしておきたいみたいです。
とても情が深い人なのです。
業者にゴミとして一挙に持って行かれるのは忍びなくて、私の手で少しずつ片づけたいと思っていたのですが・・・仕方がないですね。
駐車場は解約し、ガスは・・もしかしたら水道も停めるようです。

気持ちを置き去りにして、物事はどんどん進みます。
それでいいのですね。
そうしなければ前に進めないですものね。

我が家にも片づけなくてはとずっと気になっているものがいくつかあります。
後ろ髪を引かれるけれど、時として想いを絶って次に進んだ方がいい時もありますね。

  
今日は選挙から戻って、久し振りにトマトシチューを作りました。
このシチューは父方の祖母のお得意料理。
私は父から教わったんですよ。
中学の時、福岡から横浜へ転校しました。編入試験のために母より一足先に、単身赴任していた父の元へ行った私に父が教えてくれました。
滅多に作らなくなったけど懐かしい味です。私はご飯にかけて食べるのが大好き^^

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実家を片づけながら想うこと

実家で先日の続きの母の衣類の片づけ作業をしました。
亡くなってまだ半年だから、片づけるには早過ぎるかとも思うのですが、いっぺんにエイッ!ヤー!と処分するのは忍びなく、一つ一つ試着してはゴミ袋へ入れてゆきました。
父の覚書が出てきました。新婚時代のものです。晩年お酒に溺れた父ですが、若い頃は夢に萌えていたのですね。事業への野心とプランが綴ってありました。アメリカへ行くことも計画の中にありました。「妻に話すと『死ぬほど行きたい』と言った」と書いてありました。生まれ故郷アメリカへ帰ることが、母の大きな夢だったのです。
でも父と母の夢は、舅姑の反対に会い実現しませんでした。

古い手紙も20~30通ありました。母の姉弟からのものが多かったです。英文なので、私には掻い摘んでしか内容がわかりません。日付を見ると1956年が多く、アメリカ育ちの母が九州で、舅姑と同居し、父が始めた事業を懸命に手伝っていた頃、母の辛かった時代です。

私が5歳の時、2歳年下の弟が亡くなりました。母は姑に『あんたが信心しないから子どもが死ぬなんてことになる』と言われたと言っていました。

その後、小田原に住む母の父(私の祖父)が亡くなりました。祖父はとても優しい人で、母はお父さんっ子だったようです。そんな祖父は妻を亡くしたあと、子ども達に猛反対されながらも再婚していました。その再婚相手の女性からの手紙も数通ありました。祖父は再婚してまだ日が浅いうちに肝臓を患い他界したのですが、手紙はどれも拙い文字と文章の鉛筆書きで、祖父の病状や日常の報告、見舞いのお礼などがしたためてありました。祖父亡きあとの手紙は、それは肩身の狭そうな文章があわれで、その方の心に想いを馳せました。
その女性は祖父の後を追うように一年後に病死されています。

母は九州・福岡が大嫌いでしたが、辛くて辛くて、けれども一生懸命だったその頃の記録を捨てられなかったのですね。

人の一生を見る思いの片づけです。
父の、母の、祖父母の人生。

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左端は私の子ども時代に家族でやっていた家業の旅館のマッチのラベルです。
手紙類の箱に写真も入っていました。
湖畔の母。父とよく軽井沢でデートしたと話していましたが、この写真はどこでしょう。

私の夫が亡くなったあと、母と軽井沢へ行ったことがあります。
雲場池で「あのベンチにaちゃん(夫)と座ったのよ」というと、「一人で座っておいで。私、ここにいるから」と言った母にも、雲場池に思い出があったのかもしれませんね。

身近な人の一生を俯瞰するように振り返ると、日々の小さな不満がどうでもいい事に思えます。
誰に対しても、自分のこだわりは横に置いて、受け止めてゆこうと、こういう作業をしていると思ってしまいますね。

あぁ、でもね、恋人の裏切りだけは許せない。何故なんだろうと考えました。きっと真心の問題だからでしょうね。
まだまだ人間小さいですね。こんなですもの、人を受け止めるなんて上っ面の言葉だけかもしれません。

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笑顔の母と遺品整理

この間とは別の歯の歯茎が腫れて、また急遽歯医者の予約をとりました。
先生が夏休みに入られる直前ということで、朝しか空きがなく、前日は横浜の誰も住んでいない実家に泊まりました。
歯茎の腫れは大したことはありませんでしたが、一か所悪くなると、あっちもこっちもとドドドッと来そうで恐ろしいです。でもかろうじてまだ全部自分の歯で頑張っています。

実家では母の箪笥の中の整理をしました。
母は原色が好きで、それがまた似合う人でした。
結構オシャレな洋服が、きちんと整理されていました。
どうせほとんどが捨てるものだから、捨てる前にあれこれ着てみました。サイズはぴったりです。
それを着ていた頃の母の姿が鏡の中で明るく笑って見えます。まだ「老い」を感じない頃の母。今の私より少し若いかもしれません。
遺品の整理をしているのに、私の心は弾んでいました。
元気な母と、同い年の私が一緒に楽しい時間を過ごしていました。

ブラウスやスカーフを持ち帰りました。
カットワークや刺繍+レース使いの可愛くて素敵なブラウス。
父からのプレゼントかな。父は母の誕生日には必ず何かプレゼントをしていましたから。
少し黄ばんでいるけれど、クリーニング屋さんでなんとかなるかもしれません。

父が亡くなってから母は長野の弟宅に引き取られました。
私の再婚した夫が亡くなったあと、空き家になっていた実家にしばらく住んだ頃は、母は時々来ては2週間位一緒に過ごしました。
一人で新幹線に乗れなくなってからは、年に数回、私が迎えに行って暫く一緒に過ごしました。
段々認知症の症状が出るようになっても、普段の生活にはほとんど支障はありませんでしたが、最後の半年位はもう我が家に連れて来ることも難しくなっていました。

たまに会って、「またね」と別れる時、「もしかしたら これが母と会う最後になるかもしれない」と思いながらの(^^)/~~~バイバイを幾度となく重ねました。
そして次の時には「あ~、また会えたね」と心の中でホッとしました。
そうやって少しずつ別れを重ね、母の命は終わりを告げ、そして今、若くて華やいだ母とお喋りをする私。
今も母は私の中で少しずつ死んでいます。現在進行形です。

義妹は母の話をすると電話の向こうで涙をこぼしているようです。
どんな風にしても悔いは残ります。
でも長く苦しまず生きづらくなったこの世からスッといなくなれて、ママ(母をみんなこう呼びます)良かったねと思います。
「もうこんな生活いやだ~」とこぼしていましたから。

私の中で母が少しずつ死んでゆくという事は、私にとって幸せな事だと思います。

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